2024年09月26日

書き下ろし小説を公募に出した件 結果です


http://hanaryujin.seesaa.net/

5月の投稿で文芸作品を公募に出した件の結果です。(忙しさにかまけてブログほったらかしでしたね……すみません)

応募したのは「落葉樹」という、普通の小説です。歴史ものや異世界ものではありません。もっともこの賞の性格上普通の小説を出したほうがよさそうで、ドンパチしか書けない私には結構ハードでした。

さて結果は……

最終選考まで残りましたが、残念ながら賞を逃しました。

それでも一般の小説投稿サイトとちがい、完結した小説であること(ある意味当たり前なんですが、ラノベの公募などは完結していなくてもいいとか、構想だけでも良いとか不思議なものがあります)や、全話を原稿用紙形式にしてファイルを送るということ、希望者はその道のプロの講評を頂けるという、本格的なものでした。


最後まで話を読んでいただいて講評を頂けるなんてなかなか機会はありません。
私にとって良い経験となりました。

ただ、私が発達障害を揶揄しているのではないかと思われている節があり、それが残念でした。私の過去ブログをご存じの方は私が発達障害の子どもを育てていく中でどのように接していったかお分かりだと思います。

たまにはこうした文芸作品を書くのもいい勉強になりますね。

https://chiisanaimai.jp/info/1806

第4回 小さな今井大賞

賞のサイトを貼っておきますのでご覧ください。選考に残った作品名や講評が掲載されています。

海崎じゅごん 「落葉樹」です。


写真はクサトケイソウの花。昨年硫黄島で咲いていたクサトケイソウの種を採取したら、この猛暑で元気よく育ち、花を咲かせました。クサトケイソウは硫黄島でも外来植物ではびこっています。園芸種のトケイソウよりも小ぶりです。
こちらは降雪地帯なので越冬できません。

IMG_6985.JPG

posted by おはなはん at 00:59| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年05月13日

書き下ろし小説を公募に出しました

この度、某コンテストに小説を公募しました。小説投稿サイトに出しているものは非公開扱いにしなければならないので、書き下ろしです。
約8万文字の文芸作品となります。しかも作品を原稿用紙に書き、ファイルにしてメールで投稿という初体験でした。
今使っている小説作成用のアプリは横書きで原稿用紙設定がないので、Wordを原稿用紙設定にしてコピペするという面倒なことをやりました。

結果は秋です。

ラノベと違う文体でもあり、一番時間がかかった作品でした。

さて、どうなることやら……。

春から体調が全くダメダメで、腰痛が悪化しただけでなく、日常からめまいもでてきました。薬がゆるいのか効きません。薬アレルギーがあるのでしかたないのですが、仕事の疲れもとれません。
ピアノの前に座ることも少なくなりました。

こうして歳を取っていくのですかねえ……。

(おいおい、硫黄島ボランティア記の最終がまだだぞ)

※硫黄島のドラゴンフルーツとサンカクサボテンは順調に育っていますよ。
posted by おはなはん at 06:53| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月31日

ほったらかしのシンビジウム2024年春

「ほったらかしのシンビジウム」「ゴリ芋とは」「玉ねぎと思ったら山菜だった」という記事をよく読んでいただいています。

 家に何鉢もあるシンビジウムは施設に入っている母が元気だったころ、世話をしていたものです。しかし母が家を出て妹と暮らすことになってからはずっと一年中洗濯干し場であるベランダ(サンルームみたいなもの)に置かれていました。私がたまに水やりをする程度だったので花を咲かせなくなり、放置状態でした。

 その時のブログです http://hanaryujin.seesaa.net/article/469941435.html

           http://hanaryujin.seesaa.net/article/486248260.html

 2021年の春に植え替えをして2023年は3鉢で花が咲きました。この年は硫黄島へ行っていたので、鉢は日陰の軒下へ置きっぱなしでした。水やりは他の植物同様子供に頼んでいます


 冬越しのため鉢を屋内へ入れるとき鉢底から根が見えるものがあったので、春になった今回、二度目の植え替えをすることになりました。

 根が予想以上に回っており、株分けをしたものもあります。

 作業中近所の花好きの方が来られ、花談義をしながらの作業でした。

 IMG_5862.jpg

IMG_5858.jpg

IMG_5861.jpg

IMG_5859.jpg

IMG_5863.jpg

花が咲いたものもありました。
 
IMG_5860.jpg


液肥は他の植物と同じタイミングで与えます。

明日から4月。勤務先が変わります。転職ではありませんがかなり緊張しています。慣れない場所への通勤やはじめての職場、人間関係など新たに作っていくのが不安です。

硫黄島ボランティア記の最終は次回にさせてください。
posted by おはなはん at 10:55| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月26日

硫黄島ボランティア記⑧

またまた記事の投稿が前回から……本当にすみません。不定期にアップしているにもかかわらず読んでくださった方ありがとうございます。


3週間にわたる遺骨収集ボランティアを終えると、本土へ帰還前に現地・硫黄島天山「硫黄島戦没者の碑」にて現地追悼式が行われます。追悼式には遺骨収集ボランティア団、海上自衛隊(司令)、航空自衛隊幹部(司令)、鹿島建設代表、小笠原村役場職員他、多くの自衛隊員が参列されます。自衛隊員の方々は本当に決まりよく、夏の暑い日差しにもかかわらず整列して式に参加しておられました。


※ここらの写真は撮影厳禁であるためありません。またお気づきと思いますが遺骨収集現場の写真も撮影厳禁でした。後日戦没者遺骨収集推進協会から写真データをいただきましたが、SNSアップは厳禁でした。ご遺骨に対する敬意の気持ちであるからです。



献花に使われる花は小笠原村から捧げられたものだそうです。よく墓前に供えられる菊の花は硫黄島にありません。ちなみに天山周辺に植えられていた植物は、夏の乾燥に強いキョウチクトウでした。(木の大きさが1メートルあるかないかだったので苗木を植えたものだと思われる)
あとはいたるところに銀ネムが芽を出していました。


花と言えば、宿舎にご遺骨が安置されていたとき、お供えの花がないかということで、花を探しに行ったことがあります。花は自衛隊施設周辺にたくさんのハイビスカスが植えられていたので、それをあるボランティアの方が有難く切って持って帰りました。(悪く言えば無断で切った)


追悼式を終えるとその日は帰還準備をします。荷物をまとめ、遺骨収集で使っていた道具を洗い、倉庫へ仕舞います。宿舎の清掃もあります。みんなで行うので早めに終わります。このときにサンカクサボテンの枝を切ったものが捨てられており、捨てた方がいらないといわれたので有難くいただきました。(ドラゴンフルーツに似ていますが種類はわからず)


私も帰還前に硫黄島で収集した植物の苗(挿し木できるか試そうと思った)を持ち帰るべく準備をしました。本土へ持ち帰ってはいけないものかどうか事前に調べています。

硫黄島より持ち帰った花.png

これらがどうなったかは後日投稿するとしてボランティア記の続きです。


翌日は荷物を自衛隊の方々が取りに来られるので宿舎玄関前にみんながだしました。みなさん帰還前に自衛隊の売店からお土産を(信じられないでしょうがお土産があるのです。土産用の菓子や硫黄島や自衛隊をあしらったTシャツ、タオルやらいろいろ……。わたしはTシャツを買いました)たくさん買ったのでしょうか、来た時よりも荷物が増えている気がしました。


鹿島建設食堂で最後の硫黄島での昼食をとると、いよいよ輸送機搭乗です。ちなみに航空チケットはありません。その代わりにネックレスのようなものを首から下げておきます。(確認票かな。これは後で回収されます)


輸送機に乗ると白い布でくるまれたご遺骨が入った箱を抱き(本土のホテルへもどるまで)在島隊員の皆さんの見送りを受け、輸送機へ搭乗します。

雨がほとんど降らないまま取水制限となった硫黄島でしたが、私たちが帰還するときには台風が接近しつつありました。もし帰還が遅れたら影響を受けていたかもしれません。


輸送機の小さな窓から垣間見た硫黄島。皆、名残惜しそうに眺めていました。


航空自衛隊入間基地へ到着して輸送機から降りるとき、なんと捧げ銃の礼を受けました。もちろんこの礼は英霊であるご遺骨に対してのものですが私は緊張してしまいました。


以下、航空自衛隊入間基地のX(旧Twitter)過去記事に写真がありましたので紹介します。(今回の遺骨収集のときのものではありません)


入間基地X記事より①.jpg

入間基地X記事より③.jpg

入間基地X記事より②.jpg

ちなみに法律で拝礼の根拠が決められております。
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1964/ax19640508_00014_000.pdf


バスに乗って入間基地を出るのですが、なんと広い基地をバスが出るまでその場に居合わせた隊員たちは皆揃って敬礼をしていました。バスが見えなくなるまで本当に丁寧に……。

その後KKRホテルに到着するとご遺骨を安置所へ置き翌日の引き渡し式のリハーサルをしました。

ご遺骨を棒持(ほうじ:敬意をもって持つ)するため、鞄等を持てません。制服のポケットにスマホを入れるぐらいでした。


その夜はボランティア仲間と一緒に夜の街へ食事に出かけました。一足先に一人でホテルへ帰るべく後にした私が迷子になって最後にはタクシーで帰ったことはいうまでもありません。

続きはまた後日。

posted by おはなはん at 09:02| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月04日

硫黄島ボランティア記⑦

ボランティア記⑥をアップしてから2か月も経ってしまいました。すみません、相変らずのペースです。

YouTubeで硫黄島についてアップしたものがありますが、中には幽霊がでるとか心霊現象が起きるとか噂?を取り上げているものがあります。
確かに硫黄島にはまだ本土へ帰ることのできないご遺骨が地中に眠っています。その数は1万ともいわれています。米軍のご遺骨は回収済みとなっているようです。
心霊現象にあったとしたら……それはそもそも何をするために硫黄島へ行ったのか考え直してもいいのではと思います。

私はそのあたりは結構強いほうで、これまでにも様々な経験をしています。
ただ、私は本土へ帰ることができないご遺骨を連れて帰ってあげたい、その思いで何か月も前から神仏に祈り続け、遺骨収集ボランティアに参加したのです。

ボランティア期間中、自衛隊の宿舎に寝泊まりをしていますが、少なくとも宿舎でうなされたとか人影を見たとかはありませんでした。硫黄島で怖かったのは、いつ爆発するかわからない火山活動と(実際に私たちが帰還したあと10月に硫黄島そばで爆発があり、新たな島が誕生しています)ムカデやアカカミアリといった危険生物です。

周囲のジャングルへ迷い込んだら危険なため単独行動はできませんし、夜間にどこか徘徊するなどできません。

ボランティア期間中に硫黄島の道標を巡り、巡拝をしました。お酒を捧げ、深く頭を下げて拝礼をすることで、まだ帰ることができない英霊に敬意を表するのです。

忘れてならないのは、今わたしたちが享受している平和は、戦争による多くの犠牲の上に成り立っているということ。その有難みをもって向かわないと英霊も納得しないのではないでしょうか。


自衛隊の方が夜間に「見た」とか「聞こえた」というのがあるようですが、実際にボランティアに硫黄島基地の方も何回か参加されましたが、そういった話を聞いておりません。まあ、話す必要がなかったのかもしれません。

硫黄島の土に埋もれているご遺骨はもろく、ボロボロに崩れそうなくらいです。長い年月でどこに埋もれているか忘れられ、地熱や火山活動による地殻変動でそのまま風化していくのではと危惧しています。

時間がありません。一日でも早く本土へ返してあげたい。

有休をためておかねば……。


次回もよろしくお願いします。IMG_4655.JPEG

posted by おはなはん at 00:36| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2023年12月24日

硫黄島ボランティア記⑥

今回は硫黄島に残されている戦争跡を紹介します。写真はiPhoneの写真をスクショしてアップロードしているので画質が落ちます。
日曜日は遺骨収集が休みのため、ご遺族の中には巡拝される方もあります。もちろん熱帯の気候であり、火山活動中でもあることから鹿島建設の方に協力をしていただき、車に乗って島を巡ります。徒歩で行ける距離は徒歩でも向かいます。

まず私が硫黄島で最初に目にしたのが鹿島建設の食堂に向かう途中にある砲台?です。機種も種類もわかりませんが、自衛隊の宿舎近くの道路に置き去りにされています。特に何の掲示板もありません。これを発掘されたかたが何かの思いで展示するかのように置かれたとのことです。

IMG_5580[144].jpg

置かれているのに違和感を感じないのはなぜでしょうか。これが日米どちらの物かはわかりません。同じ状況を昔サイパンとグアムで見たことがあります。新婚旅行で両島を訪れた際、日本軍の司令部跡や朽ちていく戦車の姿をみかけました。あれから40年たっているのですからその戦車も姿かたちがなくなっているでしょう。時間の経過は時として残酷です。

硫黄島にはいたるところに道標(どうひょう)があります。その道標に示された位置に何かしらの戦争の跡地があります。場所的にジャングルの中だったりしますからこのように道標で示されるようです。
獨速11大隊壕群の道標です。この奥100メートルの距離に壕があります。

IMG_5581[145].jpg

巡拝の時は地元の酒を用意して参拝されます。郷土のお酒がどれだけ飲みたかったのでしょう。本土へ帰ることができない英霊はまだまだおられます。

西大佐の碑です。まわりは高い地熱のため植物が育たない黒い海岸に建てられています。

IMG_5582[146].jpg

西大佐について書かれています。西大佐はオリンピック馬術で優勝された方でした。戦争はそのような経歴も関係なく人を巻き込みます。
https://sk-photo.main.jp/ioujima/main/170-baronnishi/baronnishi.html

海軍司令部跡です。周りの岩壁は銃弾による穴が開いています。

IMG_5576.jpg

IMG_5575.jpg

時間の結果とともに草木が密集し岩も崩れかかるところがあります。
海軍といえど戦時中は敵から身を隠すためこんな岩陰に潜んだのでしょう。

米軍のシャーマン戦車です。戦車は横からの攻撃に弱いので側面にコンクリートを施しています。しかしそれでも攻撃に耐えられなかったのでしょうか。戦車上部の蓋が開きっぱなしということは内部の方は逃げおおせたのかもしれません。

IMG_5566.jpg

大阪山砲台の迫撃砲(海軍)
海軍の砲台でしたが、砲身に米軍の砲弾が刺さっており使用不能となっています。そのまま撃っていたら爆発したかもしれません。

IMG_5572.jpg

医務課壕跡地です。照明が備えられていて、参拝の折は明かりをつけてもらいました。ここは火山活動に近い場所にあるようで、壕の中を進んで行くとまるでサウナのように高温になります。その様子を動画に撮っているのですが、同行されている方の顔が出てしまうのであげることができません。このように地熱の高い場所でも命令されれば壕を掘り進まねばなりません。スクショで失礼します。

IMG_5574.jpg

IMG_5586.jpg

IMG_5584.jpg

IMG_5588 a.PNG

IMG_5585 a.PNG

IMG_5589 a.PNG

途中空気穴でしょうか。上部に通気口のような穴が開いていました。
出口に観音像とたくさんの飲み物が置かれていました。こんな蒸し暑い中で飢えと渇き、そして不十分な医療によって亡くなられた方もおられるでしょう。残酷すぎます。

次回も続きます。
posted by おはなはん at 15:31| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。