2025年04月13日

禁断の押し入れを整理したら出るわ出るわ……

 つい先日、ようやく母のいる老人施設へいってきまっした。いつか面会に行こうと思いながら新型コロナウイルス禍となり、会えるのは死んだ時だけかと諦めていました。コロナが5類に移行しても互いに警戒をしており(仕事先もずっとマスク着用)、忙しいのも相まって面会できずでした。
ようやく時間を作って面会へ行ってきましたが、新型コロナウイルス禍の間にすっかり認知症が進み、もはや私が誰かわからない状態でした。しゃべっても言葉が不明瞭で何を言っているかわかりません。歩行や食事も介助が必要です。妹の話では要介護5一歩手前とらしいです。
グループホームで見切れなくなり、いずれでなくてはならなくなりました。幸い系列の施設で受け入れ可能なところがあり、そこへ入所が決まりました。田舎でも老人ホームへ入るのに100人待ちとかあります。母が行きたいといっていた老人施設は人気があり空きがありませんでしたが離れた場所にある老健に空きがありました。

 さて、久しぶりに今日、押し入れの片づけをしました。YouTubeでごみ屋敷パートナーズというチャンネルがあり、それを見るとはげみになります。
 今回は仏間にある押入れを片付けることにしました。かなりの埃もあるようだったのでブルーシートを敷いての作業です。

 中にあるものをひっぱりだして確認すると出るわ出るわ……ため込んだもの。

 コカ・コーラの景品のパイレックス皿段ボールに1箱、コカコーラの景品キャンディ入れ段ボール1箱(これらは昔コカ・コーラで荷積みや品出しのパートをしていた時、倉庫整理とかでもらい受けたもの。平成4年のことですからずっとそのままだったのでしょう)、来客用の湯飲みや茶托、花瓶、記念で頂いた陶器類、葬式で使った食器や使いきれなかった通夜用のろうそく線香も。その他ごみもたくさん出ました。これらのごみを車に詰め込み、いつものごみ処理施設へ。
未使用の食器も多数あったけど仕方ないです。因みによほどの値打ちものでないとリサイクルショップで引き取ってもらえません。
 銘のある木箱に入っていたものは残しました。箱の裏に金婚式年とか退職記念とかなんやら書いてあったので勝手に処分したら妹が怒るでしょう。
 中にはこんな得体のしれない干からびたキノコ(直径10センチ以上ある)まで。霊芝かな。珍しもの好きの父が入手したものでしょう。

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 歳をとるとなんでもためこんでしまうのでしょうか。私も気を付けたいところです。



 
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2025年03月31日

ちょっと憂鬱な春

 ご無沙汰しています。久しぶりの投稿となります。これというのも小説書きの方に時間をとられており(しかもパソコンに迎えるのは一日1時間程度)ブログ更新が後回しになっているからです。
 人事異動シーズン、あすから新しい顔と新しい配置です。いつもこうであったらいいな、というささやかな私の願いは叶うことなく、妥協の一年を迎えています。

 年末に子どもとコミケへ行ってきましたが、そのあたりから右ひじに傷みが残り、腕を使うとひじが痛むようになりました。マッサージしたり整体へ行ったりしましたがすっきり治らない。医師の診断では『テニス肘』だとのこと。私はテニスをしたことがないのですが、心当たりといえばパソコンに向かうときの姿勢です。目が悪いので前へつんのめって机上のパソコン画面をみるのですが、このときに右ひじを強く圧迫するかの如く前かがみになってしまうので、右ひじに負担がかかっていたようです。

 対策としてパソコン用の眼鏡(視力矯正あり)をつくったところ、姿勢は改善されました。

 皆様もご自分がパソコンへ向かう姿勢をよく考え、私のような失敗をなさらないように。

posted by おはなはん at 23:28| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年09月26日

書き下ろし小説を公募に出した件 結果です


http://hanaryujin.seesaa.net/

5月の投稿で文芸作品を公募に出した件の結果です。(忙しさにかまけてブログほったらかしでしたね……すみません)

応募したのは「落葉樹」という、普通の小説です。歴史ものや異世界ものではありません。もっともこの賞の性格上普通の小説を出したほうがよさそうで、ドンパチしか書けない私には結構ハードでした。

さて結果は……

最終選考まで残りましたが、残念ながら賞を逃しました。

それでも一般の小説投稿サイトとちがい、完結した小説であること(ある意味当たり前なんですが、ラノベの公募などは完結していなくてもいいとか、構想だけでも良いとか不思議なものがあります)や、全話を原稿用紙形式にしてファイルを送るということ、希望者はその道のプロの講評を頂けるという、本格的なものでした。


最後まで話を読んでいただいて講評を頂けるなんてなかなか機会はありません。
私にとって良い経験となりました。

ただ、私が発達障害を揶揄しているのではないかと思われている節があり、それが残念でした。私の過去ブログをご存じの方は私が発達障害の子どもを育てていく中でどのように接していったかお分かりだと思います。

たまにはこうした文芸作品を書くのもいい勉強になりますね。

https://chiisanaimai.jp/info/1806

第4回 小さな今井大賞

賞のサイトを貼っておきますのでご覧ください。選考に残った作品名や講評が掲載されています。

海崎じゅごん 「落葉樹」です。


写真はクサトケイソウの花。昨年硫黄島で咲いていたクサトケイソウの種を採取したら、この猛暑で元気よく育ち、花を咲かせました。クサトケイソウは硫黄島でも外来植物ではびこっています。園芸種のトケイソウよりも小ぶりです。
こちらは降雪地帯なので越冬できません。

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2024年05月13日

書き下ろし小説を公募に出しました

この度、某コンテストに小説を公募しました。小説投稿サイトに出しているものは非公開扱いにしなければならないので、書き下ろしです。
約8万文字の文芸作品となります。しかも作品を原稿用紙に書き、ファイルにしてメールで投稿という初体験でした。
今使っている小説作成用のアプリは横書きで原稿用紙設定がないので、Wordを原稿用紙設定にしてコピペするという面倒なことをやりました。

結果は秋です。

ラノベと違う文体でもあり、一番時間がかかった作品でした。

さて、どうなることやら……。

春から体調が全くダメダメで、腰痛が悪化しただけでなく、日常からめまいもでてきました。薬がゆるいのか効きません。薬アレルギーがあるのでしかたないのですが、仕事の疲れもとれません。
ピアノの前に座ることも少なくなりました。

こうして歳を取っていくのですかねえ……。

(おいおい、硫黄島ボランティア記の最終がまだだぞ)

※硫黄島のドラゴンフルーツとサンカクサボテンは順調に育っていますよ。
posted by おはなはん at 06:53| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月31日

ほったらかしのシンビジウム2024年春

「ほったらかしのシンビジウム」「ゴリ芋とは」「玉ねぎと思ったら山菜だった」という記事をよく読んでいただいています。

 家に何鉢もあるシンビジウムは施設に入っている母が元気だったころ、世話をしていたものです。しかし母が家を出て妹と暮らすことになってからはずっと一年中洗濯干し場であるベランダ(サンルームみたいなもの)に置かれていました。私がたまに水やりをする程度だったので花を咲かせなくなり、放置状態でした。

 その時のブログです http://hanaryujin.seesaa.net/article/469941435.html

           http://hanaryujin.seesaa.net/article/486248260.html

 2021年の春に植え替えをして2023年は3鉢で花が咲きました。この年は硫黄島へ行っていたので、鉢は日陰の軒下へ置きっぱなしでした。水やりは他の植物同様子供に頼んでいます


 冬越しのため鉢を屋内へ入れるとき鉢底から根が見えるものがあったので、春になった今回、二度目の植え替えをすることになりました。

 根が予想以上に回っており、株分けをしたものもあります。

 作業中近所の花好きの方が来られ、花談義をしながらの作業でした。

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花が咲いたものもありました。
 
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液肥は他の植物と同じタイミングで与えます。

明日から4月。勤務先が変わります。転職ではありませんがかなり緊張しています。慣れない場所への通勤やはじめての職場、人間関係など新たに作っていくのが不安です。

硫黄島ボランティア記の最終は次回にさせてください。
posted by おはなはん at 10:55| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月26日

硫黄島ボランティア記⑧

またまた記事の投稿が前回から……本当にすみません。不定期にアップしているにもかかわらず読んでくださった方ありがとうございます。


3週間にわたる遺骨収集ボランティアを終えると、本土へ帰還前に現地・硫黄島天山「硫黄島戦没者の碑」にて現地追悼式が行われます。追悼式には遺骨収集ボランティア団、海上自衛隊(司令)、航空自衛隊幹部(司令)、鹿島建設代表、小笠原村役場職員他、多くの自衛隊員が参列されます。自衛隊員の方々は本当に決まりよく、夏の暑い日差しにもかかわらず整列して式に参加しておられました。


※ここらの写真は撮影厳禁であるためありません。またお気づきと思いますが遺骨収集現場の写真も撮影厳禁でした。後日戦没者遺骨収集推進協会から写真データをいただきましたが、SNSアップは厳禁でした。ご遺骨に対する敬意の気持ちであるからです。



献花に使われる花は小笠原村から捧げられたものだそうです。よく墓前に供えられる菊の花は硫黄島にありません。ちなみに天山周辺に植えられていた植物は、夏の乾燥に強いキョウチクトウでした。(木の大きさが1メートルあるかないかだったので苗木を植えたものだと思われる)
あとはいたるところに銀ネムが芽を出していました。


花と言えば、宿舎にご遺骨が安置されていたとき、お供えの花がないかということで、花を探しに行ったことがあります。花は自衛隊施設周辺にたくさんのハイビスカスが植えられていたので、それをあるボランティアの方が有難く切って持って帰りました。(悪く言えば無断で切った)


追悼式を終えるとその日は帰還準備をします。荷物をまとめ、遺骨収集で使っていた道具を洗い、倉庫へ仕舞います。宿舎の清掃もあります。みんなで行うので早めに終わります。このときにサンカクサボテンの枝を切ったものが捨てられており、捨てた方がいらないといわれたので有難くいただきました。(ドラゴンフルーツに似ていますが種類はわからず)


私も帰還前に硫黄島で収集した植物の苗(挿し木できるか試そうと思った)を持ち帰るべく準備をしました。本土へ持ち帰ってはいけないものかどうか事前に調べています。

硫黄島より持ち帰った花.png

これらがどうなったかは後日投稿するとしてボランティア記の続きです。


翌日は荷物を自衛隊の方々が取りに来られるので宿舎玄関前にみんながだしました。みなさん帰還前に自衛隊の売店からお土産を(信じられないでしょうがお土産があるのです。土産用の菓子や硫黄島や自衛隊をあしらったTシャツ、タオルやらいろいろ……。わたしはTシャツを買いました)たくさん買ったのでしょうか、来た時よりも荷物が増えている気がしました。


鹿島建設食堂で最後の硫黄島での昼食をとると、いよいよ輸送機搭乗です。ちなみに航空チケットはありません。その代わりにネックレスのようなものを首から下げておきます。(確認票かな。これは後で回収されます)


輸送機に乗ると白い布でくるまれたご遺骨が入った箱を抱き(本土のホテルへもどるまで)在島隊員の皆さんの見送りを受け、輸送機へ搭乗します。

雨がほとんど降らないまま取水制限となった硫黄島でしたが、私たちが帰還するときには台風が接近しつつありました。もし帰還が遅れたら影響を受けていたかもしれません。


輸送機の小さな窓から垣間見た硫黄島。皆、名残惜しそうに眺めていました。


航空自衛隊入間基地へ到着して輸送機から降りるとき、なんと捧げ銃の礼を受けました。もちろんこの礼は英霊であるご遺骨に対してのものですが私は緊張してしまいました。


以下、航空自衛隊入間基地のX(旧Twitter)過去記事に写真がありましたので紹介します。(今回の遺骨収集のときのものではありません)


入間基地X記事より①.jpg

入間基地X記事より③.jpg

入間基地X記事より②.jpg

ちなみに法律で拝礼の根拠が決められております。
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1964/ax19640508_00014_000.pdf


バスに乗って入間基地を出るのですが、なんと広い基地をバスが出るまでその場に居合わせた隊員たちは皆揃って敬礼をしていました。バスが見えなくなるまで本当に丁寧に……。

その後KKRホテルに到着するとご遺骨を安置所へ置き翌日の引き渡し式のリハーサルをしました。

ご遺骨を棒持(ほうじ:敬意をもって持つ)するため、鞄等を持てません。制服のポケットにスマホを入れるぐらいでした。


その夜はボランティア仲間と一緒に夜の街へ食事に出かけました。一足先に一人でホテルへ帰るべく後にした私が迷子になって最後にはタクシーで帰ったことはいうまでもありません。

続きはまた後日。

posted by おはなはん at 09:02| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする