2019年10月31日

発達障害と向き合う⑧高校生時代その2

高校生になったタイミングで再度児童相談所へ行き、発達検査をしてもらいました。

発達検査であるWISCⅢが受けられる年齢ぎりぎりでした。

果たして結果はやはり発達障害、しかしその詳細は今回もあきらかにされません。

おまけに「この年齢まできたらつける薬がない。」などと医師に小馬鹿にされる始末。

薬とはコンサータやリタリンなどでしょうが、「つける薬がない」とはよく言ったものです。

腹が立ちました・・・

児童相談所とは以来、行くことはありませんでした。

高校生の長男はこの時に自分の障害を知ったようですが、だからと言って長男がどうこうかわるものではありません。

ただ、反抗期は一般の男の子に比べ遅く来たようです。

それもキレることがしばしば。

体が大きくなり、力も強くなってからキレられると手におえない事がありました。

ある日、学校から至急の要件として電話がありました。

同じクラスの生徒と取っ組み合いの喧嘩をしたそうで、喧嘩両成敗とかでどちらも自宅謹慎となるとのこと。

先生からを聞くと、

  相手が長男の歩くさまをみてからかった。長男はそのことに怒って殴る真似をした。相手は長男の手が届かないのでさらにからかった。
  長男はキレて本気で殴り掛かった。そこへ先生がやってきて仲裁に入った。

という事です。殴った長男は悪いにしても、人をからかう相手はどんな人権意識をもっているのだろう・・・

複雑な思いです。しかも相手の母親は私が中学生の時の後輩。

「こんなことになったけど、お互い仲良くしようなあ。」

と言われましたが私は気持ちがおさまりません。

それ以後、長男がこの生徒とどうかかわったかはわかりません。(学校の事は全く家で話さないし、学校の配布文書もほとんどださないので)

キレやすくなった長男は家庭でもモノにあたることがありました。

腹立ちまぎれに壁に当たり散らし、壁に大きな穴が開いています。まるで漫画みたいです。

そういえば小学6年のときも腹が立ってガラスが入った室内ドアを蹴り飛ばし、ガラスが割れ、長男はその足に3針縫う大けがをしました。

このように後のことがわからなくなるような行動をとります。こうしたらこうなる、という考え方がキレるととんでしまいます。

相変わらず携帯のゲームやカードゲームに興じています。

とにかくこだわりが強い。

ある日何かのことで長男に話をしていたとき、よほどうざかったのでしょうか

「うっせえ!だまれ!」

と大声を上げ、その手が私の胸にあたりました。

「コン!」と胸に響いた音がし、後になって痛みが来ました。

息をしても動いても痛みが治まらない。仕事をしていても痛いので受診したところ、肋骨にヒビが入っていました。

医師には子供に暴力をふるわれたなんて言えないので適当にごまかしましたが・・・

治るまでギブスをはめて仕事をしていました。

小学生の時にできた「彼女」ですが、なんどか携帯電話でやり取りをしていたようですが、

何かで長男がキレたときに携帯電話(カパカパする二つ折りの携帯電話)をバキッと折って壊したためそのまま連絡もなくなりました。

今から思えばSDカードに連絡先など残っていたのでは・・・と思うのですが。

そんなキレやすい長男でしたが、こんな一面もあります。

ある日、合唱部の先輩で大学の合唱部にいる先輩から合唱コンサートのチケットを買い、聞きに行くと言って家を出ました。

ところがなかなか帰ってこない。

やっと帰ってきた長男に理由を聞くと

「コンサート会場のある駅と大学の最寄り駅を間違えて、大学の最寄り駅で降りてしまった。帰りの交通費が足らなくなるので

道路標識(行き先が書いてあるもの)を見ながら国道を歩いて1時間以上歩いた。会場に着いたときにはコンサートは終わっていた。」

まあ、余分にお金を持たせなかった私も悪いのですが長男の不注意は否めませんね。

しかし道路標識を見れば目的地に着くということがわかっており、不測の事態に自分で対応できたことは良かったと思います。

長男は人に助けをもとめる(特別支援教育でいえば支援依頼)ことができません。

自分で考えて動いています。だから手遅れになることも無きにしも非ずですが。

長男の考えでは交通手段がなければ歩いていく、なんです。

わかりやすいといえばわかりやすい。

高校生になっていろんな面をみせた長男、いよいよ進路を考える時期がきました。
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2019年10月29日

発達障害と向き合う⑦高校時代その1

合格が決まり、高校に長男が発達障害であることを伝えるとすぐに対応をしてくれました。

そのころには発達障害ことも一般校に知られるようになり、小中学校で情緒障害の支援学級もできていました。

しかし高校ではまだまだ対応が遅れています。ようやく通級による指導をする高校ができた県もあるぐらいです。

長男が入学するまでの春休み中に面談があり、長男の小中学校の様子を話しました。

入学式では担任、副担任がそばで見守ってくださいました。

私も仕事が民間から公立学校の講師へ変わったこともあり、より特別支援教育とはどうなのか考える機会となりました。

それまで一人歩きしていた「発達障害」、これを何とかしたかった。

入学後、バレーボール部から誘いがあったようですが、私は

「○○は大きな声が出るから合唱部があっていると思う。合唱部ならバレーボールみたいに補欠はなく、みんなが声をあわせるからいいと思うよ。」

と合唱部をすすめました。

中学生の時は部長でありながら補欠という(それでもまじめに一生懸命やっていた)姿がいじらしかったから。

ツボにはまったようで長男は合唱部に入りました。それでいて選択科目は音楽でなく美術部。

あとで理由を聞いたら

「僕はリコーダーが苦手だから。」と・・・

高校でリコーダーをすることはほとんどないんだけどなあ・・・

言っておけばよかった。

発達障害の子どもは指使いが思うようにならずリコーダーを苦手とする子どもが少なからずいます。

長男もそうでした。指の一本一本に力が入りすぎてうまくリコーダーの穴の開閉ができないのです。

合唱部ではバスを担当しました。

顧問の先生が非常に優秀な方で長男の良さもよくみていました。

合唱部はコンクールでもよい成績を残し、県外に出ることもありました。

みんなと声を合わせる、息を合わせる、行動を合わせる

これらは長男にとってとても良い「訓練」だったと思います。

長男は役者としても才能があると言われ、

発達障害と言われても必ず何か得意なものがあると感じました。

高校入学して(上の子が高校入学後に携帯電話を持ったので)長男も携帯電話を持ちました。

これが本当に困った・・・

長男は誰かと電話をして話す事はほとんどなかったけど

SNSやらゲームにはまる始末。

そして相変わらずのカードゲーム。

カードゲームの試合があるそうですが、まさに常連になっていました。

はまりやすいのが自閉傾向の長男の特徴、自制できている大人になるまで続いています。

家には段ボール4箱分のカード。

はまるんですねぇ・・・

これが大きく高校生活に影響していくのです。
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2019年10月28日

発達障害と向き合う⑥ 中学生時代 

かの長男もいよいよ中学校に入学となりました。

小学校は私服での登校だたのでまず長男に躾けなくてはならないのが「学生服を着る」という事でした。

長男は「ネクタイ、カッターシャツのボタンを全部はめる」が全くダメでした。

あの首の感触がダメでした。

中学校の男子の制服は学生服です。あの詰襟が長男には「壁」です。

入学前に何回か練習をし、制服だから着なくてはならない事を話しました。

そして制服はハンガーにかけるんだよ、と場所も決めました。

新しいことはすんなり頭に入り身に付きやすく、この「制服をハンガーにかける」のもその後高校を卒業するまで帰宅するとちゃんと所定の場所にハンガーにかけていました。

自閉症も併せ持っているので自分が納得するとルールや手順をよく守ります。

入学すると長男はさっそく男子バレー部に入部しました。

その中学校は男女ともバレーボールが強く、長男も期待したようです。

ただ、長男は段取りが悪い。慣れないと時間がかかります。

案の定入部してしばらくして、部活終了してから最終下校までに下校できなかったらしく、男子バレーボール部が3日ほど活動できなくなりました。

その初日帰宅して部屋に閉じこもって泣いていた長男。

心配して理由を聞くと部員から責められたらしい。

私はすぐさま学校に電話をして事情を話しました。

学校が対応をしてくれたのでことは収まりましたが・・・

実は小学校から中学校に「発達障害」であることの申し送りがしてなかったのです。

勉強は普通にできていたので忘れられていたのかもしれませんね。

バレーボール部では相変わらず不器用な動きでプレーをしていました。

サーブやレシーブを見ても体の使い方が変!としか言いようがない。

私もバレーボールをやっていたので気になっていました。

3年生で部長となりますが、長男のポジションは補欠でした。

長男はスポーツは無理かな・・・そう自覚しました。

中学生の長男は思春期に入ると反抗期は現れ、キレることがでてきました。

卒後、塾の先生にいただいた手紙にも「時々キレることがあって対応に困った。」とありました。

今までは素直で「いい子」だった長男がいよいよ反抗期。

そして高校受験。

受験先は懇談で地域の進学校に決めました。

あまり熱心に勉強しているふうにはみえませんでしたが、自分の生きたいところに行けばいいと思ったからです。

まんべんなくどの教科も勉強していくのが普通の子ども。長男は好きな教科しか勉強しません。

あとは遊戯王などのカードゲームに興じていました。

そんなこんなで合格発表の日。

高校まで一緒に見に行きました。

なぜ一緒に行ったか。

上の子の合格発表のとき、たくさん笑顔の生徒に紛れて泣きはらしている女の子を見かけました。

たぶん不合格だったのでしょう。

なんとその子の友達らしき女の子たちが、泣きはらしている(当然暗い顔をしている)女の子をまじえて記念写真を撮っていたのです。

幸せいっぱいの顔の中に暗く泣いた女の子・・・

合格発表は子どもだけで行かせては行けないと痛感しました。

さて、長男はなんとか合格していました。

番号を見つけるとすぐさま同級生を探し

「○○君、僕も合格したよ。またよろしく。」

と言っていました。

その子も合格していたからいいようなものの・・・

あとは親のすべきこと。それは学校に対応を求める事。

合格発表後、春休み中に高校に長男が発達障害であることを伝えました。

案の定中学校からは調査書に何も書かれてなかったようです。

調査書に発達障害の事を記載すると不利になると思われていた?

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posted by おはなはん at 06:00| Comment(0) | 子育て | 更新情報をチェックする

2019年10月27日

発達障害と向き合う⑤小学校時代その4

5年生の時に長男に体力をつけさせて自信をもたせたいいう思いで通わせたスイミング教室。

長男は親の意見はわりとよく聞いていました。

「よく風邪をひくから行ってみたら?」と言ってその気で通っていたのですが、私にはほかの目的がありました。

小学校では校内や他小学校と合同での陸上や水泳の大会があります。県大会まで進む子供もいます。

体育の先生が非常に熱心で、朝練習から放課後練習まで選ばれた子は一生懸命練習をします。

ただ、長男はからだの使い方がぎこちないのでクロールで泳がせてもフォームがおかしく、そのため記録が伸びませんでした。

なんとかマトモにしたい思いで通わせました。

向こうはプロですから非常に熱心に指導をしてくれます。

卒業まで通い、泳ぐ距離もスピードもあがりましたが、やはりフォームはイマイチ。

それでも長男は自信をもったようで、今でもスイミング教室に通ったことは良かったと言ってくれます。

6年生のころに近隣の小学校男子との合同で男子バレーチームができました。

監督から声がかかり、長男も入団しました。

今までは女子バレーチームで応援しかできませんでしたが、これからは長男も試合に臨めます。

他の小学校の男の子たちと一緒にかかわって試合ができることで長男もイキイキとしていました。

長男の発達に大きく貢献したと私は思っています。

また、この年に長男は彼女ができました。

時々行っていた教会の合宿で一緒だった年上の中学生です。

彼女の町へJRで移動し、一緒に食事(ラーメンらしい)をすることもありました。

バレンタインデーにチョコレートが届いたこともあります。

ただ、長男には恋愛感情があまりなかったのかもしれません。

女の子のほうがそのほうはませていますからね。

電話をすることもありましたが、9時をすぎて電話をしてしまい先方の親からかなり叱られたようで泣いたこともあります。

これは私が長男に気を付けてやれなかったミスです。

フォローに必死でした。

卒業するころには活動がどんどん広がり私の知らない長男の姿もあったようです。

posted by おはなはん at 12:10| Comment(0) | 子育て | 更新情報をチェックする

2019年10月26日

発達障害と向き合う④ うちの子はアスペルガー症候群?小学生時代その3

児童相談所の発達検査で発達障害と診断されて以来、特に長男を気に掛ける毎日でした。

集団行動ができるようにするため、入団させた女子バレーボールチームは長男にとっても居心地の悪いものではなかったようで女子と普通に仲良くやっていました。チームの中に友達がいたのが良かったのかもしれません。

おかげさまでみんなと行動を共にすることができていました。

高学年になると長男も落ち着きを見せ、好きな教科や趣味に打ち込むようになりました。

ただ、手先が不器用・体の動きや使い方が変であることは顕著になっていきました。

常に手に力が入り、鉛筆を握りしめるように書くので文字はノートの罫線から斜めに大きくはみだし、当然毛筆もかなりダイナミックなミミズ文字になりました。

歩き方も普通に歩くことができません。ノッシノッシと恐竜が歩くような歩き方で前かがみになって歩くので遠くからでもよくわかりました。

今ではこれらも発達障害の特徴の一つだと言えますが、当時は全くそんな知識がなく、なぜそうなのか考える事もありませんでした。

町内会の夕涼み会に子どもと参加していたとき、Tさん(前回私を叱り飛ばした保育士)のご主人が「△△さん、児童相談所に行ったと聞いたけど
○○君の結果はどうだったの?」

と尋ねられました。Tさんのご主人は小学校の教師で長男の事を心配してくださってました。当時は個人情報がどうこうというのが今ほどうるさくなかったので、長男の事も学校に尋ねられたのかもしれません。

「児童相談所では発達障害と診断が出たけどだからどうこうという事は言われてないよ。」

と答えたら

「発達障害、それだけ言われたの?他に何も言われてない?」

と不思議そうな顔をされました。そして

「僕は○○くんはアスペルガーだと思う。」

と言われたのです。

「…他に何も言われてないから決めつけないでほしい。」

そう言って私は離れました。

知りたいけど知るのが怖い、そんなところでしょうか。

まさにこのタイミングでこの事件が報道されており、神経がピリピリしていました。



長崎男児誘拐殺人事件…アスペルガー症候群の少年が引き起こした事件です。

確かに長男の特徴はアスペルガー症候群特徴と似ていますが、一致しない部分もあります。

発達障害という診断だけしかもらってないので私もわからないのに、医師でもないのにアスペルガー症候群だというのは不安を煽るだけです。

もちろん、Tさんのご主人も悪気でいったわけではないのはわかります。

教育的見地から述べた意見だと思います。

ただこの事件以来、アスペルガー症候群=犯罪を引き起こす 

そんな偏見が世間に広まっており、長男が犯罪者扱いされるのがたまらなかったのです。

そんな心配をよそに、長男は優しく育ってくれました。


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posted by おはなはん at 01:19| Comment(0) | 子育て | 更新情報をチェックする

2019年10月24日

発達障害と向き合う③ 児童相談所とつながる 小学生時代その2

学級懇談で泣いたあの日から、私も何とか手をうたなくてはという思いがありました。

頭にあったのは児童相談所です。当時は子育てに悩んだら「児童相談所」ぐらいの認識しかありませんでした。

ところが電話をかけても予約は2月まで一杯とのこと。昔から児童相談所は忙しいんですね。

心待ちをして2月、ようやく面談をし様子を伝えると医師の診察を受けられるとのこと。

児童相談所でWISCⅢ(ウイスクサード)という発達検査(知能検査のとても詳しいもの)をし、それを元に医師の診察を受けられます。

さて、発達検査当日。長男は児相帰りにコンビニで肉まんを買うのをご褒美に児童相談所へ来ました。

発達検査中は親は別室で待機しました。途中、長男と面談をした職員さんが

「○○くんはお母さんが好きだと言ってましたよ。けんかをしてもかばってくれるからだそうです。」

と言われ、恥ずかしくもうれしくも思いました。


そして診察日。児童相談所へ医師が来られ、WISC結果をみて診察をされます。

医師は「知能指数が120以上あるのは優秀だね。ただ、精神年齢と学習年齢(その時の長男の学習能力)とかなり開きがあるね。」

と言われました。つまり、学習は上学年の内容を理解しているが、精神的には6歳ぐらいとのこと。

そして「発達障害ですね。」と言われました。

聞いたこともない言葉に返す言葉がありません。

翌日、学校にこのことを伝えたら

「発達障害って何ですか?」

と先生に聞かれる始末。

今でこそ発達障害の言葉も広く知られることとなり保育園から大学まで知る人が多い言葉ですが、当時はまだメジャーな言葉ではありませんでした。

もちろん小学校も特別支援学級は知的障害だけでした。

学校の先生さえ知らない「発達障害」という診断をいただき、こうして言葉の一人歩き状態が始まりました。

私が思い付いた対策の一つが「集団行動ができるように女子バレー部に入れる」ことでした。

上の子が女子バレー部にいたので、監督やコーチと親しいし、つるんで悪さをするような男の子がいない環境でスポーツに打ち込むのは悪くないと考えたからです。

男子バレー部はなかったし、上の子のバレーの試合に必ず連れて行ってたので違和感なく長男はバレー部に入りました。

もちろん試合には出られませんが団体で外れることなくバレーボール部を楽しんでいました。

発達障害の意味が分からないまま卒業まで続きました。

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posted by おはなはん at 23:40| Comment(0) | 子育て | 更新情報をチェックする

発達障害と向き合う②小学生時代その1~学級崩壊をおこす

保育園時代は「時々変なことをいう子」ぐらいの認識しかなく、そのまま小学校へ入学しました。

子どもたちは皆、地元の保育園に行かないで町外の私立保育園へ通っていました。そのため入学して友達ができるまでが一山です。

長男も無事に友達ができて、近くの田んぼへカブトエビを採りに行ったり、ベーブレード(当時は初期のコマゲーム)やカードゲームで遊んだりしていました。

ここでも「こんなもん」かなと思っていました。

女の子とも仲良く、手がかからない子でした。

そして小学3年生のとき。

小学3年、4年生と言えば、子どもの関係に仲間意識が芽生え、教師や親よりも仲間との繋がりを大切にする「ギャングエイジ」です。よく学級崩壊をするのもこのあたりからです。

この小学3年の6月、父親参観日(今では別の呼び名のようですが)のこと。

土曜日とあって普段平日に参観日に行けない夫と二人で参観日に行きました。

私は上の子を参観し、夫は長男の参観をしていましたが、帰宅して夫が

「○○が授業中にいきなり窓を開けて、窓から外に飛び出していった。校庭で遊んでいた。」と言い、私もびっくり。

何が起こったのだろうと理由がわからないだけに心配が募ります。

そして恐れていた通り、長男に触発され勝手なふるまいをする子どもが続出しクラスは荒れていきました。

2学期には長男を始め、同じようにクラスを荒らしている子どもの事も保護者間で噂になっていました。

仲良しの保護者からもクラスの様子が私の耳に入り(たぶん子どもが帰宅後に親に話しているのでしょう)

正直、針のむしろでした

学級懇談でクラスの事を心配した保護者があれこれ担任に話します。

そばでそれを聞いて自分のことを批判されている気がしてとても辛かった。

やがて話す番が私に回ってきたとき

「クラスを荒らしているのはウチの子です、知っていて寄ってたかって吊し上げはやめてください。!」

そう声を上げてしまいました。

涙目です。

一瞬、しまったというような表情をした保護者達。

しかし、当時保育士をしていたTさんが怒ってこう言ったのです。

「なんでそんなことを思うのですか、○○ちゃんもみんなも大事だし、一緒に成長していく仲間でしょう。ここにいるみんなはそれを知っているからなんとかしたいと思っているじゃないですか。」

Tさんは叫びながら泣いていました。

Tさんは町内会が同じで一緒に子供会の活動もしていました。いつもは温和な顔つきと物言いで癒されるような方です。そのTさんが怒って泣いているのです。本気で訴えているのがジンと伝わりました。

そのまま担任が間に入ったこともあり、お互い溝を作ることなく思いを知ることができました。

荒れたクラスは12月から「学級崩壊専門教師」がクラスに副担任として入られることとなりました。

Y先生という定年をとうに過ぎた女性の先生は一人一人の子供の良さをよく見つけられ、話してくださいました。

長男の良いところを見つけたり、興味を引き延ばしたりして下さいました。

クラスの子供たちはY先生が好きになってやがて落ち着いていきました。

褒められるのが嫌いな子どもはいません。褒めrことで自信をもち、自尊感情もうまれます。

おかげさまで学級崩壊から復活していきました。

posted by おはなはん at 22:50| Comment(0) | 子育て | 更新情報をチェックする