2024年03月31日

ほったらかしのシンビジウム2024年春

「ほったらかしのシンビジウム」「ゴリ芋とは」「玉ねぎと思ったら山菜だった」という記事をよく読んでいただいています。

 家に何鉢もあるシンビジウムは施設に入っている母が元気だったころ、世話をしていたものです。しかし母が家を出て妹と暮らすことになってからはずっと一年中洗濯干し場であるベランダ(サンルームみたいなもの)に置かれていました。私がたまに水やりをする程度だったので花を咲かせなくなり、放置状態でした。

 その時のブログです http://hanaryujin.seesaa.net/article/469941435.html

           http://hanaryujin.seesaa.net/article/486248260.html

 2021年の春に植え替えをして2023年は3鉢で花が咲きました。この年は硫黄島へ行っていたので、鉢は日陰の軒下へ置きっぱなしでした。水やりは他の植物同様子供に頼んでいます


 冬越しのため鉢を屋内へ入れるとき鉢底から根が見えるものがあったので、春になった今回、二度目の植え替えをすることになりました。

 根が予想以上に回っており、株分けをしたものもあります。

 作業中近所の花好きの方が来られ、花談義をしながらの作業でした。

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花が咲いたものもありました。
 
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液肥は他の植物と同じタイミングで与えます。

明日から4月。勤務先が変わります。転職ではありませんがかなり緊張しています。慣れない場所への通勤やはじめての職場、人間関係など新たに作っていくのが不安です。

硫黄島ボランティア記の最終は次回にさせてください。
posted by おはなはん at 10:55| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月26日

硫黄島ボランティア記⑧

またまた記事の投稿が前回から……本当にすみません。不定期にアップしているにもかかわらず読んでくださった方ありがとうございます。


3週間にわたる遺骨収集ボランティアを終えると、本土へ帰還前に現地・硫黄島天山「硫黄島戦没者の碑」にて現地追悼式が行われます。追悼式には遺骨収集ボランティア団、海上自衛隊(司令)、航空自衛隊幹部(司令)、鹿島建設代表、小笠原村役場職員他、多くの自衛隊員が参列されます。自衛隊員の方々は本当に決まりよく、夏の暑い日差しにもかかわらず整列して式に参加しておられました。


※ここらの写真は撮影厳禁であるためありません。またお気づきと思いますが遺骨収集現場の写真も撮影厳禁でした。後日戦没者遺骨収集推進協会から写真データをいただきましたが、SNSアップは厳禁でした。ご遺骨に対する敬意の気持ちであるからです。



献花に使われる花は小笠原村から捧げられたものだそうです。よく墓前に供えられる菊の花は硫黄島にありません。ちなみに天山周辺に植えられていた植物は、夏の乾燥に強いキョウチクトウでした。(木の大きさが1メートルあるかないかだったので苗木を植えたものだと思われる)
あとはいたるところに銀ネムが芽を出していました。


花と言えば、宿舎にご遺骨が安置されていたとき、お供えの花がないかということで、花を探しに行ったことがあります。花は自衛隊施設周辺にたくさんのハイビスカスが植えられていたので、それをあるボランティアの方が有難く切って持って帰りました。(悪く言えば無断で切った)


追悼式を終えるとその日は帰還準備をします。荷物をまとめ、遺骨収集で使っていた道具を洗い、倉庫へ仕舞います。宿舎の清掃もあります。みんなで行うので早めに終わります。このときにサンカクサボテンの枝を切ったものが捨てられており、捨てた方がいらないといわれたので有難くいただきました。(ドラゴンフルーツに似ていますが種類はわからず)


私も帰還前に硫黄島で収集した植物の苗(挿し木できるか試そうと思った)を持ち帰るべく準備をしました。本土へ持ち帰ってはいけないものかどうか事前に調べています。

硫黄島より持ち帰った花.png

これらがどうなったかは後日投稿するとしてボランティア記の続きです。


翌日は荷物を自衛隊の方々が取りに来られるので宿舎玄関前にみんながだしました。みなさん帰還前に自衛隊の売店からお土産を(信じられないでしょうがお土産があるのです。土産用の菓子や硫黄島や自衛隊をあしらったTシャツ、タオルやらいろいろ……。わたしはTシャツを買いました)たくさん買ったのでしょうか、来た時よりも荷物が増えている気がしました。


鹿島建設食堂で最後の硫黄島での昼食をとると、いよいよ輸送機搭乗です。ちなみに航空チケットはありません。その代わりにネックレスのようなものを首から下げておきます。(確認票かな。これは後で回収されます)


輸送機に乗ると白い布でくるまれたご遺骨が入った箱を抱き(本土のホテルへもどるまで)在島隊員の皆さんの見送りを受け、輸送機へ搭乗します。

雨がほとんど降らないまま取水制限となった硫黄島でしたが、私たちが帰還するときには台風が接近しつつありました。もし帰還が遅れたら影響を受けていたかもしれません。


輸送機の小さな窓から垣間見た硫黄島。皆、名残惜しそうに眺めていました。


航空自衛隊入間基地へ到着して輸送機から降りるとき、なんと捧げ銃の礼を受けました。もちろんこの礼は英霊であるご遺骨に対してのものですが私は緊張してしまいました。


以下、航空自衛隊入間基地のX(旧Twitter)過去記事に写真がありましたので紹介します。(今回の遺骨収集のときのものではありません)


入間基地X記事より①.jpg

入間基地X記事より③.jpg

入間基地X記事より②.jpg

ちなみに法律で拝礼の根拠が決められております。
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1964/ax19640508_00014_000.pdf


バスに乗って入間基地を出るのですが、なんと広い基地をバスが出るまでその場に居合わせた隊員たちは皆揃って敬礼をしていました。バスが見えなくなるまで本当に丁寧に……。

その後KKRホテルに到着するとご遺骨を安置所へ置き翌日の引き渡し式のリハーサルをしました。

ご遺骨を棒持(ほうじ:敬意をもって持つ)するため、鞄等を持てません。制服のポケットにスマホを入れるぐらいでした。


その夜はボランティア仲間と一緒に夜の街へ食事に出かけました。一足先に一人でホテルへ帰るべく後にした私が迷子になって最後にはタクシーで帰ったことはいうまでもありません。

続きはまた後日。

posted by おはなはん at 09:02| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2024年03月04日

硫黄島ボランティア記⑦

ボランティア記⑥をアップしてから2か月も経ってしまいました。すみません、相変らずのペースです。

YouTubeで硫黄島についてアップしたものがありますが、中には幽霊がでるとか心霊現象が起きるとか噂?を取り上げているものがあります。
確かに硫黄島にはまだ本土へ帰ることのできないご遺骨が地中に眠っています。その数は1万ともいわれています。米軍のご遺骨は回収済みとなっているようです。
心霊現象にあったとしたら……それはそもそも何をするために硫黄島へ行ったのか考え直してもいいのではと思います。

私はそのあたりは結構強いほうで、これまでにも様々な経験をしています。
ただ、私は本土へ帰ることができないご遺骨を連れて帰ってあげたい、その思いで何か月も前から神仏に祈り続け、遺骨収集ボランティアに参加したのです。

ボランティア期間中、自衛隊の宿舎に寝泊まりをしていますが、少なくとも宿舎でうなされたとか人影を見たとかはありませんでした。硫黄島で怖かったのは、いつ爆発するかわからない火山活動と(実際に私たちが帰還したあと10月に硫黄島そばで爆発があり、新たな島が誕生しています)ムカデやアカカミアリといった危険生物です。

周囲のジャングルへ迷い込んだら危険なため単独行動はできませんし、夜間にどこか徘徊するなどできません。

ボランティア期間中に硫黄島の道標を巡り、巡拝をしました。お酒を捧げ、深く頭を下げて拝礼をすることで、まだ帰ることができない英霊に敬意を表するのです。

忘れてならないのは、今わたしたちが享受している平和は、戦争による多くの犠牲の上に成り立っているということ。その有難みをもって向かわないと英霊も納得しないのではないでしょうか。


自衛隊の方が夜間に「見た」とか「聞こえた」というのがあるようですが、実際にボランティアに硫黄島基地の方も何回か参加されましたが、そういった話を聞いておりません。まあ、話す必要がなかったのかもしれません。

硫黄島の土に埋もれているご遺骨はもろく、ボロボロに崩れそうなくらいです。長い年月でどこに埋もれているか忘れられ、地熱や火山活動による地殻変動でそのまま風化していくのではと危惧しています。

時間がありません。一日でも早く本土へ返してあげたい。

有休をためておかねば……。


次回もよろしくお願いします。IMG_4655.JPEG

posted by おはなはん at 00:36| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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