2023年12月24日

硫黄島ボランティア記⑥

今回は硫黄島に残されている戦争跡を紹介します。写真はiPhoneの写真をスクショしてアップロードしているので画質が落ちます。
日曜日は遺骨収集が休みのため、ご遺族の中には巡拝される方もあります。もちろん熱帯の気候であり、火山活動中でもあることから鹿島建設の方に協力をしていただき、車に乗って島を巡ります。徒歩で行ける距離は徒歩でも向かいます。

まず私が硫黄島で最初に目にしたのが鹿島建設の食堂に向かう途中にある砲台?です。機種も種類もわかりませんが、自衛隊の宿舎近くの道路に置き去りにされています。特に何の掲示板もありません。これを発掘されたかたが何かの思いで展示するかのように置かれたとのことです。

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置かれているのに違和感を感じないのはなぜでしょうか。これが日米どちらの物かはわかりません。同じ状況を昔サイパンとグアムで見たことがあります。新婚旅行で両島を訪れた際、日本軍の司令部跡や朽ちていく戦車の姿をみかけました。あれから40年たっているのですからその戦車も姿かたちがなくなっているでしょう。時間の経過は時として残酷です。

硫黄島にはいたるところに道標(どうひょう)があります。その道標に示された位置に何かしらの戦争の跡地があります。場所的にジャングルの中だったりしますからこのように道標で示されるようです。
獨速11大隊壕群の道標です。この奥100メートルの距離に壕があります。

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巡拝の時は地元の酒を用意して参拝されます。郷土のお酒がどれだけ飲みたかったのでしょう。本土へ帰ることができない英霊はまだまだおられます。

西大佐の碑です。まわりは高い地熱のため植物が育たない黒い海岸に建てられています。

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西大佐について書かれています。西大佐はオリンピック馬術で優勝された方でした。戦争はそのような経歴も関係なく人を巻き込みます。
https://sk-photo.main.jp/ioujima/main/170-baronnishi/baronnishi.html

海軍司令部跡です。周りの岩壁は銃弾による穴が開いています。

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時間の結果とともに草木が密集し岩も崩れかかるところがあります。
海軍といえど戦時中は敵から身を隠すためこんな岩陰に潜んだのでしょう。

米軍のシャーマン戦車です。戦車は横からの攻撃に弱いので側面にコンクリートを施しています。しかしそれでも攻撃に耐えられなかったのでしょうか。戦車上部の蓋が開きっぱなしということは内部の方は逃げおおせたのかもしれません。

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大阪山砲台の迫撃砲(海軍)
海軍の砲台でしたが、砲身に米軍の砲弾が刺さっており使用不能となっています。そのまま撃っていたら爆発したかもしれません。

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医務課壕跡地です。照明が備えられていて、参拝の折は明かりをつけてもらいました。ここは火山活動に近い場所にあるようで、壕の中を進んで行くとまるでサウナのように高温になります。その様子を動画に撮っているのですが、同行されている方の顔が出てしまうのであげることができません。このように地熱の高い場所でも命令されれば壕を掘り進まねばなりません。スクショで失礼します。

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途中空気穴でしょうか。上部に通気口のような穴が開いていました。
出口に観音像とたくさんの飲み物が置かれていました。こんな蒸し暑い中で飢えと渇き、そして不十分な医療によって亡くなられた方もおられるでしょう。残酷すぎます。

次回も続きます。
posted by おはなはん at 15:31| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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