長男が社会人として独り立ちした今、子育てを振り返って記録となる「歴史」を示したかったのかもしれません。
他の子とどこか違うな、と不思議に思った保育園時代、障害も個性も線引きが難しい。
まして当時は発達障害という言葉さえ知られてなく、長男のような子供は「躾が悪い」「やんちゃ」「じっとしてられない」等言われてそれが
親を苦しめていました。
保育園時代、長男より上の子どもですが、年長ながら発語が幼く排せつも自立できない男の子がいました。
保育園が療育センターの医師にその子供をみてもらったのですが
「こんな子は薬を飲まさないとダメだな。」と笑ったとか。
男の子の母親は泣きはらした顔で「人を馬鹿にしたような言い方をして、ひどいよね。」と訴えてきました。
医師ならなおさら言葉を選ぶ必要があるでしょうに...
長男が育った小学時代、学校の特別支援学級は知的障害だけでした。
知的障害の子どもへの手立てはありましたが、じっとしていない子やこだわりが強すぎて行動に支障をきたす子、コミュニケーションをとりに
くい子、算数はできるのに文字の読み書きができない子、国語はできるのに計算ができない子など通常の学級にいるそうした子供たちは、「が
んばってもできない」のに「頑張りが足らない怠けている子」だと先生から言われて苦しんでいました。
それが保護者をどんなに傷つけてきたか、体験したものでないとわかりません。
保護者も同居の家族の理解がないと完全に孤立することになります。
以前の勤務先にも子供が情緒障害で自閉症だという方がいました。
その子供は近所でも有名なほど変わった子だと言われていました。
その方はいつも表情が暗く、言葉も少ない。子どもの事で悩んでおいででした。
何かのきっかけで話す機会があり、長男の話をしました。
「うちの子も発達障害なのよ。」
それまでの子育てのことを話すと非常に驚かれ、表情が変わっていきました。
子どもの支援だけでなく、親への支援も必要なのかもしれません。
病気やケガはほとんどの場合薬や手術などで治すことはできますが、障害は治すことはできません。
障害に向き合い、一生付き合っていく必要があります。
視覚が不自由な方は白杖や盲導犬という助けで移動をすることができます。道路の点字や信号機の音楽は社会での手立てです。
聴覚が不自由な方は手話でコミュニケーションをとることができます。
障害があっても障害をカバーする手立てがあればほぼ同じように生活をすることができます。
近年は情報端末を用いて必要なコミュニケーションを取ることができるようになりました。
発達障害は「脳のでこぼこ」だとも言われます。
何かが突出している(得意)、何かがへこんでいる(苦手)・・・これは普通の人にもあるのですが、その差が激しい。
でもそれを「個性」だと考える事も出来ます。
発達障害と言っても人それぞれ。長男のことが他の発達障害の子どもに当てはまるとは限りません。
知的障害を併せ持つ子どももいます。
母子手帳に発達の目安がありますから、何か違うと感じたら迷わずに受診されることをお勧めします。
早期の手立てが子どもを救います。
また、養護学校のように地域包括センター機能をもつ役割があるところに相談されてもいいでしょう。
私のように児童相談所にいくのもいいかもしれませんが昔も今も児童相談所は多忙でなかなか予約できません。
手立てが遅れて二次障害が起きてしまわないうちに相談してみましょう。
令和新選組のある議員が障害がある子どもも普通の学級で学ぶインクルーシブ教育について取り上げています。
例えば知的障害の子どもが特別支援学級に入らず通常の学級で学び、同じようにテストを受けるという事でかんがえると・・・
同じ基準でテストを受けると「文字が読めない、文章の意味がわからない、学習内容がわかっていない」知的障害の子どもはどうしても
点数を採ることができません。そして担任はその子に十分な手立てをすることができません。それが通常学級だからです。
もしそうであるならインクルーシブ教育はいいのかどうかケースバイケースですね。
中にはどうしても子どもの障害を受け入れらず、支援を拒み通常学級で学ばせる親もいます。
そこには社会の「障害者への差別や偏見」も影響しているのかもしれません。
地域に障害者の施設ができることになったとき、住民説明会が持たれました。
知らない人にとって障害者は「怖い」「得体が知れない」ものなのでしょう。
だけどコミュニケーションの取り方を知り、必要な支援があれば怖いものでないはずです。
周りには大人になってから発達障害と診断された方もいます。
当時はその言葉さえ知られず、支援もなかった時代。
今ではいろんな手立てがあります。一緒に考えて一緒に生活をすることができます。
長男もいつかは結婚をするかもしれません。
私の大人の発達障害の「子育て」はこれからです。