ちょうど来月に硫黄島ボランティアについて短い講演を行うことになったので、まとめ代わりにブログに書いておきます。
硫黄島ボランティアに応募したきっかけは、過去のブログにも書きましたが、沖縄で戦死した祖父の存在です。祖父は沖縄県へ出征していましたが、アメリカ軍の戦車の下敷きになったときいております。そのあたりは激戦地だったようで民間人も命を落とし、祖父の骨は多くの民間人の骨と一緒になって土にかえっております。
そのため家の仏壇や墓に祖父の骨はありません。沖縄の石があるだけです。
本土へ帰りたくても帰れないご遺骨のために遺骨収集できないかと遺族会に聞いたところ、沖縄ではやっていないとのことで、事業をやっているところは硫黄島、ロシアや東南アジアなど海外でした。
硫黄島といえばあの「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」で知られていますが私はその映画を見たことがありません。
https://eiga.com/movie/33345/https://www.ogasawara-channel.com/iwojima/movie.htm 硫黄島(いおうじま)ではなく、正しくは硫黄島(いおうとう)です。,旧島民の方やご遺族はこの呼び名に誇りをもってらっしゃいます。いおうとう、という呼び名が昔からの呼び名です。
激戦地だった硫黄島はジャングルのいたるところに壕があり、上陸したアメリカ軍は日本軍を掃討するために壕に向けてガソリンをまき火を放ったときいております。考えるだけでむごいやりかたです。
日本軍としてここにいたのは日本人のほかに某半島の方もいました。当時の動画(記録映画)を見る限り、この半島の方々は率先して投降し、日本兵の所在などを教えていました。(彼らは彼らなりの心情があったと思いますが……。笑顔で投降しているのを見るといい気持ちはしません)
他ひも日本兵の世話などで島民が加わり、命を落とされてます。
まだまだ土の中に眠る多くのご遺骨をなんとしても本土へ帰らせてあげたい。それは当たり前のように平和を享受する私たちの務めだと思っています。(あくまでも自論です。)
現在硫黄島へ行くには海上自衛隊の輸送機に乗るしかありません。民間人が立ち入ることを許可されていないからです。遺骨収集ボランティアとして推薦され、加わるしかありません。
埼玉県の入間基地から輸送機に乗り、荷物と同じ大きなスペースにある、電車のような椅子に座って人間も運ばれます。普通の飛行機でないので騒音も大きく、窓は小さくて少ないのであまり外は見えません。それは仕方がないことです。
入間基地から無事に硫黄島の基地へ到着すると、自衛隊の「エイサー同好会」?が出迎えてくれました。エイサーは沖縄の民俗芸能ですね。
この出迎えが正直ほっとしました。
遺骨収集ボランティアはいくつかのボランティア団体で結成されています。遺族会でない方はいくつかあるボランティア団体に聞いて見られたら良いと思います。
大学生ボランティア団体や自衛隊OBなども協力しておられます。
次回は硫黄島の植生について書きたいと思います。

硫黄島には多くの野良猫がいます。誰かが持ち込んだと思いますが、彼らに餌をやることは禁止されていました。とてもやせていてジャングルへ餌を求めてさまよう姿がありました。
ただ、硫黄島は活火山島なので危険が多すぎます。
posted by おはなはん at 07:29|
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